ふいに「思い出した」ので少しだけ・・・
子供のころ 「わら納豆」を早朝に ナットー ナットーと売り歩くのが はやった。親方のところに いって いくつかを「はい」といって かごごと渡されて カラになったら 親方のところに戻り かご返すと「お金」がもらえたというもの。
天ぷらを売る少年も あった 商店街の天ぷら店の主人が かごの中に「かき揚げとか いか天とか ナス天とか」はいとそれぞれに渡して 売り切れたら 戻ってきて 「お金」もらうもの これは夕方・・あとは「子守の少年」といって 背中に赤ちゃんを おぶって 1時間~2時間 ブラブラするもの 終わると「お金」もらえる あと おもしろいのは「お金とメモ」渡されて 商店街の各店で 言われたもの 買ってくること これらは 親が「仕事」を 持ってきたもので 子供は 当たり前に やったものだ。無論、自分もやったし 途中で「やめる」こともなかった。
4/19撮影・横浜野良猫会の女王さまのコメント・寺ちやんも 子供ころ 小学生の1年生か2年生だよね よく お金の計算できたのね 釣銭もあったろうし 計算機なかったよね 冬は寒かったよね 雨の日も やったの?
寺ちゃんの「少年時代」もっと いろいろ 体験談 ありそう 慶応義塾大学の防空壕の探検隊の話 あれも 子供の時だよね 子供は寺ちゃんだけ あとは中学生と高校生 出口が わからなくなったんだよね
なんか 聞いていたら 泣けて きちゃったの~♪
違ったわ 目薬の時間なのよ 花粉症のよ 効くのよね~♪
4/19の横浜の空模様・スッキリハッキリしません・富士山 見えません。こういう 空模様と雲は なんか イヤですね
4/19・21時作成・ 当時の冬は「氷」が張ります 霜柱もできるし ザクザク踏むのが 面白かった。雪も降りました。暖房らしいのは「コタツ」くらいかな 寒かったけれど「笑い声は絶えなかったし 心は温かった」大人もいい人が多かった。戻れるものなら「あの少年時代」に戻りたい~♪